●ゲストは、デビュー50周年を迎えた作曲家の林哲司さんです。
デビュー50周年記念本 『 Saudade 』 をベースに、その50年の軌跡をお話しいただきました。
この本のコピーには
<作曲家としてキャリア50年を迎えた林哲司。
2020年12月、松原みきの「真夜中のドア~stay with me~」が、
Spotifyグローバルバイラルチャートで15日連続世界1位を記録するなど、
今ふたたび注目を浴びる作曲家の半生と生み出された名曲群に迫る>
と書かれています。
一誠さんは「洋楽に負けない<ジャパニーズ・ポップス>を確立した功労者!」と表現。
とても濃厚な1時間でした。
1973年アルバム『ブルージェ (BRUGES)』でシンガーソングライターとしてデビュー。
「シンガーソングライターに憧れていましたからね。
ただデビューー前にヤマハ音楽教室作曲コースで学んでいましたから、
人に提供することにわだかまりみたいなのはなかったです」
編曲家下積み時代から有名プロデューサーや筒美京平さんに声をかけられるようになって、
「やっぱりすごい人が起用してるってことを、“あれこいつ何かあるのかな”って感じで
一回使ってみようかって事で、少しずつ仕事がいただけるようになりました」
「真夜中のドア~stay with me~/松原みき」について
「(“思いっきり洋楽を作ってくれ”との注文に)それで出来たのがこのメロディで、
彼女の声質が憂いがあるというか、ねちっこい感じなんですよ。
それで日本語が乗ってみると、完璧な洋楽ではなくて、丁度いい塩梅に、日本の曲になったっていう」
「(今世界中で聴かれてるのは)ネット社会になってどこの国のじゃなきゃいけないとかではなく、
いいなと思った人達が次々に連鎖していったんじゃないかと」
「悲しい色やね/上田正樹」について
「自分の洋楽的なものを意図していた想像の中に、いきなり関西弁が入ってきた瞬間
“こりゃもうあかんな”ともうヒットはないと思いました(笑)」
「ほんとに客観的に聞けたのが、
渋谷のパチンコ屋から流れてきて“これはこれでいい曲だな”と・・・」
「歌って、詞とメロディが一体となって出来上がったいい作品を歌い手さんが息吹を入れてくれる。
それによって完成するものだなということを、まじまじと味合わせていただいた作品です」
作曲家として毎回ヒット曲を期待されることについてプレッシャーは?
「ありますね。自分の曲が都内のどこかでずっとレコーディングされてる、
こんな異常な事態がずっと続くわけないとわかってました」
「翌日までにA・B面2曲書かなきゃいけない状況がずっと続くわけですよ。
それは正直言ってほんと辛かったですね」
「(家に帰って)夕食を食べてテレビで巨人戦を3イニングくらい見て・・・
そこだけがほんとに気を抜けるって感じが、今も生々と記憶に残ってます」
今後の活動について
「過去の作品を聴いていただけるのは、それはそれで有難いんですけど、
僕は立ち止まっているわけではなくて、新しい作品・活動も注目していただきたいな」
興味深いお話がたくさん。より詳しくはデビュー50周年記念本『 Saudade 』をご覧ください。
何か近いうちにまたご出演頂けるようです。とても楽しみです。
林哲司さん!ありがとうございました。
また来週、お幸せに!