デビュー45周年の庄野真代さん。
その記念アルバム『 MAYO BOX ~Nippon Columbia Days 』がリリースされました。
今までオンデマンドでしか入手できなかった廃盤アルバムが
リマスタリングされて正式CD化。( CD11枚+DVD1枚 )
収録全作品を庄野真代さんご本人が1曲ずつコメントを書下ろしています。
さらに176ページあるブックレットには、一誠さんとの対談も収録。
この為の新曲も含めた音源123曲、映像18曲、合計141曲が収録されていて、
とにかく聴いて・観て・読んでの大ボリュームです。
「何周年とか全然いままで興味なかったんです」
「コロナの事もあり、いろいろじっくり考える時間があったので、
今まで自分が歩いてきた道を振り返って見ようかなぁ・・・って
そんな気持ちになりました」
フォーク音楽祭をきっかけデビューした当時のお話では
「プロになる意識はなかったです。でもスカウトの時 “アルバムを作りませんか”と言われて、
高校生の時から書いてきた曲が一枚のレコードになるなんてなんて素敵!と思って」
シンガーソングライターである庄野さんが、筒美恭平さんの曲を歌うことになって
「“飛んでイスタンブール”と出会わなかったら66歳になるまで歌っていなかったかも」
「曲つくりにおいて計算尽くされていて、
いかに心に残るか、いかにその人の声のいいところを生かすかとか、
総合プロデュースという形で曲作り・詞作りされるプロの職人技はすごい!」
“Hey Lady 優しくなれるかい”がヒットした時に世界旅行へ出かけてしまった庄野さん。
大ヒットを逃したかもと問う一誠さんに
「私がいても大ヒットになったかどうか?(行くまでに)出来る限りの事はやりましたから」
「(旅行の後は)きっと前の様に仕事はないだろうな・・・
だけど旅行した方が得るものは多いんだろうな・・・みたいな感じだった」
「(帰ってきてから)自分にとっては新しい事が始まる予感がありました」
その後、音楽を通したボランティア活動、環境への想いから大学入学・留学もし、
NPO法人を立ち上げます。
「また急にってよく言われるんですけど、
自分の中にはストーリーがあってそれに合わせた身の振り方があるんですよ」
コロナ禍も経験し50周年を見据えて今後の活動については
「自分をじっくり見る時間があったので、
身体のコンディションや心の中に溜まっていた想いとか全部調整して
どう出してしていくのかを考えてます」
「これから凄いぞ!みたいな。自分に乞うご期待です」
今にしてまだまだパワフルな庄野真代さん、ありがとうございました。
また来週、お幸せに!